日本歴史地名大系 「緑川村」の解説 緑川村みどりかわむら 栃木県:下都賀郡藤岡町緑川村[現在地名]藤岡町緑川南西へ流れる巴波(うずま)川西岸の低地にあり、東は同川を隔てて寒川(さむかわ)郡寒川(さんがわ)村(現小山市)、南の対岸は新波(につぱ)村。弘治三年(一五五七)五月二三日の古河公方足利義氏安堵状(小山文書)に「緑川郷」とみえ、小山秀綱の領有が認められている。慶安郷帳では田二五四石余・畑一四〇石余、下総古河藩領。慶安四年(一六五一)の「下野一国」では巴波川の緑川河岸がみえ、部屋(へや)から一里二町、鏡(かがみ)(現小山市)までは二六町五〇間で、平常は徒渉とある。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば、高三九九石余、うち新田四石余、無地高二九石余。 緑川村みどりかわむら 青森県:西津軽郡稲垣村緑川村[現在地名]稲垣村沼館(ぬまだて)東は田圃を隔てて福富(ふくとみ)村、南は沼館(ぬまたて)派、はるか北西に田光(たつぴ)沼を望む。享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文二年(一七三七)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて二町六反七畝二一歩、村高は一三・五二一石であった。うち田方は二町五反四畝二四歩で一三・一一五石、上田と下々田で、下々田が二町四反八畝一六歩、一二・四二六石とあり、畑方は下々畑のみで屋敷地を含めて一反二畝二七歩、〇・四〇六石とあり、このほかに荒田畑が三町八畝八歩ある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by