緒方村
おかたむら
[現在地名]美津島町緒方
大船越村の北東、東浅茅(三浦湾)の南辺に立地する。「津島紀略」では於加多と訓じる。浦の岬に遺跡が多く、鷲ノ巣という台地では弥生時代中期の土器が出土し、また古墳時代の石棺群が発見された。「万葉集」巻一六の「紫の粉潟の海に潜く鳥玉潜き出ば我が玉にせむ」の歌を当地の浦とする説がある。中世は与良郡のうちで、海岸部の乙宮神社の境内に中世の多数の石棺群がある。「海東諸国紀」に「吾可多浦二十余戸」とあるのが当地に比定される。明応九年(一五〇〇)「よらの郡之内をかたのうら」の買地が宗彦右衛門尉(宗盛長の家老か)に安堵された(同年八月二四日「宗国親書下写」佐須郡判物帳)。
緒方村
おがたむら
[現在地名]新吉富村緒方
成恒村の南、安雲村の西に位置する。安雲村との境を黒川が北東流する。天正一〇年(一五八二)とみられる二月二〇日の野仲鎮兼感状(友枝文書/豊前市史 文書資料)によると、筑前の秋月種実は「緒方表」に侵入し、大友方の鎮兼を破っている。江戸時代の領主の変遷は安雲村に同じ。正保国絵図に村名がみえ、高三三〇石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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