縄地金山跡(読み)なわじきんざんあと

日本歴史地名大系 「縄地金山跡」の解説

縄地金山跡
なわじきんざんあと

[現在地名]河津町縄地、下田市白浜

東海岸沿いの下田市との境界に位置する。おもな坑道運上うんじよう山・堅岩かたいわ山・なか山に存在する。天正三年(一五七五)採掘が始まったといわれる。慶長年間(一五九六―一六一五)には盛んに採掘された伊豆金山のなかでも最も隆盛し、一時は佐渡さど金山(現新潟県相川町)をしのぐほどの産出量だったという。慶長一一年代官(金山奉行)に大久保石見守長安が任命され、坑夫を募集したところ雲霞のごとく集まったという(当代記・徳川実紀)。同一三年に長安が戸田藤左衛門宛に出した覚書(国立史料館蔵)には縄地金山について坑道の排水から全体の管理までの細かい指示が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android