織田信包(読み)おだ・のぶかね

朝日日本歴史人物事典 「織田信包」の解説

織田信包

没年:慶長19.7.17(1614.8.22)
生年天文12(1543)
戦国・江戸前期の大名織田信秀の子で,信長の弟。通称は三十郎,名ははじめ信良。信兼とも書かれる。永禄12(1569)年の信長による北伊勢進攻後,伊勢上野城の城主となり,以後,信長に従って各地に転戦した。本能寺の変後,豊臣秀吉に属し,伊勢安濃津城主となったが,小田原攻めのとき,秀吉機嫌をそこねて所領を没収され,出家して老犬斎と号し,京都慈雲寺に入っている。のち,秀吉の御咄衆として召し出され,慶長3(1598)年,丹波柏原3万6000石を与えられた。関ケ原の戦では西軍に属し丹後田辺城攻めに加わったが,幸いにも旧領を安堵された。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「織田信包」の解説

織田信包 おだ-のぶかね

1543-1614 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)12年生まれ。織田信秀の4男。織田信長の弟。本能寺の変のあと豊臣秀吉につかえ,伊勢(いせ)(三重県)安濃津(あのつ)城主をへて丹波柏原(かいばら)城主となる。3万6000石。関ケ原の戦いで西軍に属したが,所領は安堵(あんど)された。慶長19年7月17日死去。72歳。名は信兼ともかく。初名は信良。通称は三十郎。号は老犬斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の織田信包の言及

【津[市]】より

…最初の築城者については諸説あるが,16世紀中葉のこととされる。織田信長の伊勢征圧で津はその支配下におかれ,以後20余年間織田信包(のぶかね)が城主となった。信包は1580年(天正8)津城を拡張,天守閣を建立し,津町を阿漕の旧地から城下に移して,住民に公課免除の特典を与えた。…

※「織田信包」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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