美具久留御魂神社
みぐくるみたまじんじや
[現在地名]富田林市宮町三丁目
「延喜式」神名帳に載る石川郡の小社「美具久留御玉神社」に比定される。現在の祭神は美具久留御魂神・天水分神・弥都波迺売神・国水分神・須勢理比売神。旧府社。喜志宮ともよばれる。社伝では、崇神天皇一〇年に当地に五彩の巨蛇が現れて百姓を悩ませたので、天皇が大国主神の荒御魂のなせるわざであるとして妖蛇の巣窟を祀らせた。その後同天皇の六二年、丹波国氷上の氷香戸辺の子供に神霊が憑き、「玉
鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、(中略)山河の水泳る御魂、静挂かる甘美御神、底宝御宝主」という神託があった。天皇はこれを聞いて活彦命を河内国支子に遣わし、当社を祀らせ、社名を美具久留御魂神社としたという。崇神天皇六二年の伝承に類似する話は「日本書紀」同天皇六〇年七月一四日条にみえる。出雲の神宝を朝廷に献上した弟を殺した出雲振根が朝廷によって誅されたので、出雲の臣らが恐れて出雲大神を祀らなくなったところ、右の社伝と同じ神託があったため、天皇が勅して出雲大神を祀らせたというものである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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