美術文化協会(読み)びじゅつぶんかきょうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美術文化協会」の意味・わかりやすい解説

美術文化協会
びじゅつぶんかきょうかい

美術団体。1939年(昭和14)5月、独立美術協会を脱退した福沢一郎を中心に、二科会、独立美術協会やその他小グループのシュルレアリスム、抽象主義、左翼主義といった傾向を示す作家が参加して結成。創立会員は靉光(あいみつ)、麻生(あそう)三郎糸園和三郎(わさぶろう)、北脇(きたわき)昇ほか41名で、絵画彫刻、デザイン、写真など各分野にわたる前衛作家の大結集となった。しかし当初の会の主調は、リーダー福沢一郎の強烈な個性を反映したこともあって、とくにシュルレアリスム色が濃厚である。活動としては同年8月、機関誌『美術文化』を創刊、翌年4月東京府美術館で第1回公募展を開催した。その後第二次世界大戦下の45年には中止されたが、46年(昭和21)再開し現在に至る。

[佐伯英里子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の美術文化協会の言及

【麻生三郎】より

…1938年井上長三郎と渡欧し,帰国後に《イタリア紀行》(1940)を出版。福沢一郎を中心に結成されたシュルレアリスムのグループ〈美術文化協会〉に参加して,内省的な自画像を発表する。戦時下にあって作家的良心を貫く〈新人画会〉の結成にも加わって抵抗の姿勢を保持。…

【独立美術協会】より

二科会のモダニズムの形骸化への反発と考えられる。しかし間もなく三岸や福沢らが超現実主義に転じたことが内紛を誘い,37年に里見,曾宮一念らの退会,39年に福沢を中心とする美術文化協会の設立をみた。その後はいわゆる日本的フォーブの集団としてまとまり,須田国太郎,小林和作,海老原喜之助,鳥海青児,野口弥太郎らを加え,在野の有力団体になった。…

※「美術文化協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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