日本大百科全書(ニッポニカ) 「公募展」の意味・わかりやすい解説
公募展
こうぼてん
主催者が作品を公募し、関係者や審査員による審査を経て、入選作品を展示する展覧会の総称。大半の場合、主催者は特定の美術団体であり、団体所属の役員や美術家がその団体の基準に即して審査を行い、入選作品は団体会員の作品と一緒に展示される。
公募作品の審査によって成り立つ展覧会の歴史は古くは19世紀初頭にさかのぼる。当時フランスでは行政府主導による多くの官展が開催される一方、官展の作品選考基準に不満をもつ美術家たちが自由出品を原則とするアンデパンダン展を組織するなど、二極化した公募展は百花繚乱の感があった。
日本における公募展の黎明期は多くの美術団体が結成された明治中期で、美術運動が高まった折、政府も自らの主導に基づく官展を主宰する必要を認め、文部省に美術審査委員会を設置、1907年(明治40)以降、毎年文部省美術展覧会(文展)を開催するようになった(当時は、政府主導の文展を官展、民間団体の展覧会を公募展として区別していた)。日本最大の公募展組織である日本美術展覧会(日展)は、第二次世界大戦後の1958年(昭和33)、文展を前身に組織が民間化されて設立された。
また1914年(大正3)には文展から二科会が分派独立、さらにその二科会から独立美術協会、一水会、行動美術協会、二紀会、一陽会などが分派独立するなど、時代の流れの中で多くの美術団体が派生し、それぞれ独自に公募展を開催するようになった。以後、多くの美術団体が自らの選出基準による公募展を実施している。また1926年の開館以来、公募展の拠点として多くの美術団体に重宝されてきた東京都美術館は、毎年200以上の公募展を開催し、美術団体の乱立に伴って公募展は活況を呈しており、芸術院会員に推挙されるような大家を頂点に巨大なヒエラルキーを形成している。また、2007年(平成19)、東京・六本木に開館した国立新美術館も公募展会場として活用されている。
日本の公募展のあり方について考える際に避けて通れないのは、現代美術とのすみ分けという問題である。公募展が主な対象領域としているのは日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門(日展のようにすべてを対象とした大規模な公募展もあれば、絵画や彫刻だけに特化した小規模なものもある)であるが、いずれも明治時代から大正時代の公募展黎明期にその様式が確立されたものである。ほとんどの美術団体は、団体設立以来の様式をかたくなに守り、公募展を通じてその様式を次代へと継承している。そこには現代美術の影響はほとんど認められず、現代美術の同趣旨の展覧会は公募展の範囲には含められないことが多い。アーティストも別ならば観客も別、それらに関わる美術教育や美術ジャーナリズムのあり方もまったく別といった具合に、公募展の存在は、タイプをまったく異にする二つの美術が、影響関係も人的交流もないままに並存していることを物語っている。
[暮沢剛巳]
『『月刊ギャラリー』編集部編『アート系公募展にチャレンジしよう』(2002・月刊ギャラリー)』