羽坂村
はざかむら
[現在地名]鳥屋町羽坂
二宮川の中流左岸台地に位置し、西往来で南の末坂村に続く。鳥屋比古神が鹿島路の湖水(邑知潟)にすむ毒蛇を射た矢が落ちた地という(陽春薦雑考)。天文一七年(一五四八)二月二〇日の気多社免田年貢支配状(気多大宮司家文書)によると「はさか村」越前なる者が気多社領三〇刈を耕作していたが、退転している。「はさか村」は近世の羽坂村・今羽坂村を含む地域と考えられる。
羽坂村
はざかむら
[現在地名]福井市羽坂町
細坂村の北西、集落は未更毛川中流域の北縁に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では、安居保に含まれていたと思われる。村名は正保郷帳にみえ、田方五〇八石余・畠方七三石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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