羽月・羽月郷(読み)はつき・はつきごう

日本歴史地名大系 「羽月・羽月郷」の解説

羽月・羽月郷
はつき・はつきごう

近世の郷域は蛇行しながら南へ流れる羽月川を隔てて東が大口郷に、西が紫尾しび山系を境に出水いずみ郡に、南が西流する川内せんだい川を隔て大隅国菱刈ひしかり曾木そぎ郷に接する。

〔中世〕

中世の羽月は大字下殿しもとのの北部、羽月城跡付近に比定される。文保元年(一三一七)七月晦日の薩摩国御家人交名注文(旧記雑録)には牛屎うしくそ院のうちに羽月右衛門入道の名がみえる。建武三年(一三三六)一月二五日、少弐貞経は羽月四郎右衛門尉元真を使者として肝付氏攻撃のため広武又次郎入道らに出兵を命じている(「少弐貞経軍勢催促状」同書)。暦応二年(一三三九)七月、入来いりき淵上ふちのうえ(現川内市)攻撃の時の負傷などを奏した和泉保末軍忠状(都城島津家文書)には合戦時の証人として牛屎院羽月高橋八郎入道慈阿の名があげられている。康永元年(一三四二)七月二九日には、新田八幡宮領の下地を押領し神役を対捍するなどの押妨により、羽月四郎左衛門尉らにすぐに参決すべき旨を触れるよう命じられた(「高重茂奉書」新田神社文書)。永和三年(一三七七)一〇月二八日島津氏に対抗して南九州の国人の間で結ばれた一揆(永和大一揆)に牛屎羽月石見守元豊も加わっていた(「一揆神水契状案」禰寝文書)。応永二三年(一四一六)から同三二年の間に作成されたと思われる福昌寺仏殿造営奉加帳(旧記雑録)には羽月豊後守元忠の名がみえる。鎌倉時代末期以降牛屎氏庶流が羽月に所領を得、羽月を名乗るに至ったことがわかる。

文明六年(一四七四)の行脚僧雑録(雲遊雑記伝)には国の面面に「羽月仁羽月某」とみえ、遅くともこの頃には羽月城が築かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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