日本歴史地名大系 「耕山寺」の解説 耕山寺こうざんじ 茨城県:常陸太田市沢山村耕山寺[現在地名]常陸太田市瑞竜町 沢山国見(くにみ)山の南麓、瑞竜(ずいりゆう)山の西の山峡にある。曹洞宗で広沢山と号する。本尊は聖観世音菩薩。寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)によると、越後耕雲寺末で朱印地六〇石を有し、もとは新宿(あらじゆく)村山吹(やまぶき)にあった。楠木正成の四男正儀の嫡男楠木小太郎正勝は、二四歳のとき仏門に入り傑堂能勝と称し、全国を行脚し一六ヵ寺を創建したという。耕山寺もその一つで、佐竹義仁が施主となって庇護されたが、八世の代に現在地に移り、文化八年(一八一一)三二世徹翁養存の代に本堂・伽藍・寺宝などすべてを焼失。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報