日本歴史地名大系 「聖護院長谷殿跡」の解説 聖護院長谷殿跡しようごいんながたにどのあと 京都市:左京区長谷村聖護院長谷殿跡[現在地名]左京区岩倉長谷町八塩岡(やしおのおか)の北西麓、長谷川沿いの地。本山修験宗聖護院(現左京区聖護院中町)の旧地と伝える。しかし「兵範記」仁安二年(一一六七)四月二六日条に「参白川法務御房、中御門末聖護院也」とあり、聖護院は平安末期には既に中御門通の東はずれの現在地に所在し、旧地に関する史料はない(→聖護院)。室町時代に聖護院山荘が長谷の地にあったことは確かで、応仁の乱後、この山荘を将軍足利義政がしばしば利用している。小川(こかわ)御所(現上京区)を出奔して初めてこの山荘に逗留した時の様子を、「親長卿記」文明一三年(一四八一)一〇月二一日条は「去夜室町(義政)殿准后俄□岩蔵聖護院准后給云々。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by