日本歴史地名大系 「肥中湊」の解説
肥中湊
ひじゆうみなと
自然の良港に恵まれていたので、室町時代には海上関があり、鋳物師がいた。大内氏の時代には、山口町(現山口市)の
天正一四年(一五八六)の豊臣秀吉の九州征伐には、阿川毛利氏の諸士は肥中湊から出陣した。「閥閲録」所収毛利宇右衛門家文書には、
とある。また文禄・慶長の役にも肥中湊から渡鮮した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
自然の良港に恵まれていたので、室町時代には海上関があり、鋳物師がいた。大内氏の時代には、山口町(現山口市)の
天正一四年(一五八六)の豊臣秀吉の九州征伐には、阿川毛利氏の諸士は肥中湊から出陣した。「閥閲録」所収毛利宇右衛門家文書には、
とある。また文禄・慶長の役にも肥中湊から渡鮮した。
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