肥中湊(読み)ひじゆうみなと

日本歴史地名大系 「肥中湊」の解説

肥中湊
ひじゆうみなと

[現在地名]豊北町大字神田 肥中

特牛こつとい湊の北、ひびき灘に面する湾の奥にあり、「注進案」は「肥中湊 南風東風当海浅し、繋船の為中分、売買交易ハ無御座候」とあるが、「水路志」は「肥中浦は北東に湾入して僅かに和船の繋舶に適し」と記す。

自然の良港に恵まれていたので、室町時代には海上関があり、鋳物師がいた。大内氏の時代には、山口町(現山口市)道場門前どうじようもんぜんから肥中に至る街道があり、肥中街道の名でよばれ重要視された。また朝鮮との交易も行われ、文明三年(一四七一)に朝鮮の申叔舟が記した「海東諸国紀」には「義長、戊子年(応仁二年)遣使来賀観音現像、書称長門州賓重(肥中)関太守野田藤原朝臣義長」とある。また同書の地図は「賓任浦」の字をあてる。

天正一四年(一五八六)豊臣秀吉九州征伐には、阿川毛利氏の諸士は肥中湊から出陣した。「閥閲録」所収毛利宇右衛門家文書には、

<資料は省略されています>

とある。また文禄・慶長の役にも肥中湊から渡鮮した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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