日本歴史地名大系 「肥御崎」の解説 肥御崎ひのみさき 長崎県:西彼杵郡野母崎町脇御崎村肥御崎古代よりみえる地名で、中世は伊佐早(いさはや)庄のうち。脇岬(わきみさき)・樺島(かばしま)の一帯に比定される。天慶八年(九四五)六月二五日の大宰府解(「本朝世紀」同年七月二六日条)に「高来郡肥最埼警固所」とみえ、同警固所は六月四日南海から来た呉越船(乗員一〇〇人)を発見し、兵士を乗せた一二艘の船で追跡、「肥最埼港嶋浦」に誘導してそこに滞留させたというので、ある程度の港湾施設が整えられていたと想定される。天福元年(一二三三)六月奥書の「教訓抄」巻二に「或る記曰く」として「肥前国肥沽崎ト云所ハ、日本ノ西南ノ月浦ノ東北ナリ、異ナル樹奇キ岳アリ、其所ニ神マシマス、西ハ海ノ渚ナリ」と記され、また「観音地蔵来給砌ナリ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by