日本大百科全書(ニッポニカ) 「肱川(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
肱川(旧町名)
ひじかわ
愛媛県中南部、喜多郡(きたぐん)にあった旧町名(肱川町(ちょう))。現在は大洲市(おおずし)の中央部東寄りを占める地域。旧肱川町は、1959年(昭和34)町制施行。2005年(平成17)長浜町、河辺(かわべ)村とともに大洲市に合併。国道197号が通じる。肱川中流の山村で、四国山地に位置し、低地は1%にすぎない。近世には大洲(おおず)、宇和島、新谷(にいや)の藩領が入り組み、肱川水運は土佐(高知県)と伊予(愛媛県)との重要な交易路であった。1930年代まで川舟が航行した。ハゼノキを栽培して製蝋(せいろう)が行われ、和紙原料のコウゾ栽培などがみられたが、第二次世界大戦後は養蚕、シイタケ・クリ栽培が中心。1959年に鹿野川ダム(かのがわだむ)が完成し、肱川の氾濫(はんらん)が防止され、鹿野川湖周辺は肱川県立自然公園に指定された。
[横山昭市]
『『肱川町誌』(1977・肱川町)』▽『『新編肱川町誌』(2003・肱川町)』