日本歴史地名大系 「能登部下村」の解説
能登部下村
のとべしもむら
北東は能登部上村と
天正八年(一五八〇)から長連竜領で、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に能登部村とみえ、領家分三八九石余・地頭方四五七石余を含み高一千六〇七石余。寛永五年(一六二八)の上野組半郡人別帳(戸部文書)によれば家数一二四(うち百姓四〇・御扶持人三・侍下人並被官一一・馬喰二・山伏二・大工二・紺屋一・玉泉坊一・道場三など)、牛馬六〇。正保郷帳では能登部下村・能登部上村の高二千二三五石余、田方一三三町九反余・畑方一五町一反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報