脇屋義則(読み)わきや よしのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「脇屋義則」の解説

脇屋義則 わきや-よしのり

1355-1403 南北朝-室町時代の武将。
文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年生まれ。父は脇屋義治(よしはる),一説に脇屋義助。南朝方にくみして相模守となり,陸奥(むつ)霊山(りょうぜん)城(福島県)を本拠とし北朝方とたたかう。南北朝合体後,足利氏満との戦いに敗れ,逃亡中の応永10年箱根底倉で,子の義行(よしゆき)とともに討たれた。49歳。ただし没年,享年には異説がある。新田義隆(陸)とも称す。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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