脇屋義助墓(読み)わきやよしすけのはか

日本歴史地名大系 「脇屋義助墓」の解説

脇屋義助墓
わきやよしすけのはか

[現在地名]今治市国分

国分こくぶん寺の東約五〇〇メートル、国分寺山の西麓、字谷の口の松林の中にある。もとの墓石は霊廟背後の一四基の小五輪塔群といわれる。今は荒れている。

現在の墓標は寛文九年(一六六九)七月、国分寺の快政・藩士町野弾右衛門・首藤又右衛門・国分こくぶ村庄屋加藤三郎右衛門らの奔走により建立されたもので、のちに家老江島為信も灯籠・玉垣を寄進した。碑は高さ約一・五メートルで、三メートル四方、高さ八〇センチの石壇の上にあり、正面に「脇屋刑部源義助公神廟」、右側に「清和天皇十七代」、左側に「暦応三年辰五月十一日」と刻んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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