愛媛県の東端にあった旧市名(川之江市)。現在は四国中央市の北東部を占める一地域。1954年(昭和29)川之江、上分(かみぶん)、金生(きんせい)の3町、妻鳥(めんどり)、金田(かなだ)、川滝の3村が合併して市制施行。2004年(平成16)伊予三島(いよみしま)市、土居(どい)町、新宮(しんぐう)村と合併、四国中央市となる。旧川之江市は、金生川流域を中心に広がり、北は燧灘(ひうちなだ)に面し、東部は香川、徳島両県と接する。JR予讃(よさん)線、国道11号が通じ、国道192号を分岐する。また、松山自動車道、高松自動車道、徳島自動車道、高知自動車道という四つの高速道路が交わる交通の要衝となっており、川之江と川之江東の二つのジャンクションがある。中心地区の川之江地区は河口にあって古くから栄え、河江、川江とも書いた。阿波(あわ)(徳島県)や土佐(高知県)への街道が通じ、また土佐藩主の参勤交代の船出の地でもあり、幕府領支配のための代官所が置かれていた。金生川の水と四国山地のミツマタ、コウゾなどの原料が入手しやすかったため、近世末から、手漉(てす)き和紙の製造で栄えた。大正時代に機械漉きの技術を導入、第二次世界大戦後は洋紙生産が盛んで、銅山(どうざん)川の水を柳瀬(やなせ)ダムによって導水し、工業用水が確保されたため、西隣の旧伊予三島市とともに、紙・パルプ工業生産で西日本有数の地区へと発展した。上分には機械漉き和紙、水引(みずひき)、のし紙、トイレットペーパー、衛生紙綿などの工場が多い。川之江地区では手漉き和紙工場もあり、妻鳥では段ボールや改良紙などの大工場も立地する。香川県境に近い切山(きりやま)地区の真鍋家住宅(まなべけじゅうたく)は16世紀末から17世紀初めごろの農家で、国の重要文化財。向山(むかいやま)古墳、朝日山古墳は県指定史跡である。
[横山昭市]
『『川之江市史 第1輯』(1960・川之江市)』
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…現在,喜多郡五十崎(いかざき)町ではミツマタの大洲改良紙,楮(こうぞ)紙,障子紙,書道半紙等がすかれており,この大洲和紙は伝統的工芸品に指定されている。東予市,五十崎町とともに,伊予紙の三大産地の一つである川之江市は,天領に属していたので,過去の歴史は他の産地ほど華々しくはないが,江戸時代からミツマタが栽培されており,明治時代に急速に発展した。明治40年ころの最盛期には500戸以上の製紙家がいたという。…
…近世の伊予は八藩による分割統治のもとにあったが,その藩領域も地形的にまとまったものである。東部から今治藩,西条藩,小松藩,そして阿波と土佐との交通要地の川之江は天領,同じく別子銅山のあった新居浜一帯も天領であった。中部では松山平野と久万盆地一帯(久万郷)が松山藩で15万石を有し,南部では大洲盆地一帯が大洲藩とその分家の新谷藩,宇和島には伊達氏の城下町があり,その分家が吉田藩であった。…
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