デジタル大辞泉
「背振山」の意味・読み・例文・類語
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せふり‐やま【背振山】
- ( 「せぶりやま」とも ) 福岡県と佐賀県との境にある山。背振山地の最高峰。神功皇后三韓征伐の折に勧請(かんじょう)したものと伝えられる背振神社があり、渡唐の僧の信仰を集めたといわれる。栄西が茶を移植した地。標高一〇五五メートル。弁財天岳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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背振山
せふりさん
早良区と佐賀県脊振村との境界にある山。脊振山とも記し、「せふりやま」「せぶりやま」とも読む。標高一〇五四・八メートル。東西六〇キロにわたって連なる背振山地の最高峰。別称として上宮嶽・上宮ヶ岳・弁財天岳・脊布利山・世布利山・茶降山・千振山・ソホル山・国鎮岳がある。古来聖山として信仰を集め、往時は山頂に背振神社上宮と神宮寺の東門寺があり、背振千坊と称される多数の坊舎があったという。現在佐賀県側に水神の弁財天と山神の乙護法を祀る脊振神社(現脊振村)があり、ほかにも霊仙寺跡(現佐賀県東脊振村)や修学院(現同上)などが知られているが、戦国時代以前には福岡県側にも多くの坊舎があり、往時は山の南北にまたがる一大霊場であった。
鎌倉時代後期に作られた宴曲(早歌)を集めた「玉林苑」下所収の「背振山霊験」には西は松浦潟(現佐賀県東松浦郡)から東は筥崎の松や志賀島(現東区)まで、山上から遠望できる玄界灘の風景が歌い込まれている。玄界灘から目印となることから中国に渡海する人々の信仰を集め、最澄・空海・円仁・円珍(前掲背振山霊験)、性空(今昔物語集・元亨釈書)や栄西(「続風土記」、「茶湯記」太宰管内志)らが入山したと伝える。
背振山
せふりさん
背振山地の主峰(一〇五五メートル)。山峰は佐賀・福岡両県の県境をなす。「神階記」の貞観一一年(八六九)、「三代実録」の貞観一二年の個所にともに「背布利神」とみえる。これは背振神社のことである(→背振神社)。「背振」の文字は「檜垣家集」(九〇〇年代の作)に「肥前国背振の御岳」とある。
寛文五年(一六六五)の「肥前古跡縁起」に山名の由来がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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