日本歴史地名大系 「膳夫寺跡」の解説 膳夫寺跡かしわででらあと 奈良県:橿原市鴨公・香久山地区膳夫村膳夫寺跡[現在地名]橿原市膳夫町天香久(あめのかぐ)山の北麓、膳夫(かしわて)町のほぼ中央にあった古代寺院であるが、現存しない。寺跡は香久山小学校付近とみられ、白鳳の古瓦と柱座のある礎石が出土している。永正一二年(一五一五)八月の膳夫荘差図(談山神社蔵)には「膳夫寺」の文字がみえ、付近にカハラカマ、カウタウ、タウノダンの地名や虚空蔵林の書込みがある。現在の字瓦釜(かわらがま)・古塔(こうとう)にあたる。仁階(にかい)堂(二階堂)とも称され、江戸期の「和州寺社記」に、「仁階堂退転して年久敷且礎のあとのみ残れり。是はいにしへ聖徳太子の后膳夫妃養母古勢女といひしを太子めして宮中にして諸事を弁し、老て剃髪し、太子入阿弥と名付給ひしが、死して後本の草廬に移し菩提のために膳夫妃此堂を建、虚空蔵を安置し、仁階堂と名付給ふと也」とあり、古瀬田(こせだ)の小字が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by