日本大百科全書(ニッポニカ) 「臑当」の意味・わかりやすい解説
臑当
すねあて
甲冑(かっちゅう)の小具足の一種で、膝(ひざ)から踝(くるぶし)までを保護する。すでに5世紀ごろの古墳出土品に例をみるが、870年(貞観12)の太政官符(だいじょうかんぷ)に「足纏(あまき)」とあるのは古代の臑当と思われる。武士が勢力を伸ばし、騎射戦の行われた中世初期に大鎧(おおよろい)の小具足として発達し、以後、各種のものを生じた。臑当のおもなものは、筒(つつ)臑当と篠(しの)臑当および鎖(くさり)臑当である。初期の筒臑当は『平治(へいじ)物語絵詞(えことば)』や『蒙古(もうこ)襲来絵詞』などの描写にみるごとく、鉄板3枚(のちには5枚もある)を蝶番(ちょうつがい)で筒状につなぎ、表側に黒漆を塗り、銅地金銀鍍金(ときん)の引両(ひきりょう)を伏せ、据文金物(すえもんかなもの)を据え、あるいは金銅装(こんどうそう)として、膝頭を覆う立挙(たてあげ)の設けはない。岐阜県可成寺(かじょうじ)伝来と大分県本川(ほんかわ)氏所蔵および滋賀県兵主(ひょうず)大社所蔵の臑当は、この形式の典型で鎌倉時代の優品である。打物(うちもの)戦が盛んになった南北朝時代ごろから立挙がつき、それが拡大して、『太平記』にみえる大立挙の臑当となり、さらに臑の後ろに当てる臆病金(おくびょうがね)や足の甲を護(まも)る甲懸(こうがけ)を生じた。大立挙の臑当や臆病金は『十二類合戦絵詞』『結城(ゆうき)合戦絵詞』などに描写されているが、例品は兵庫県太山寺(たいさんじ)、福井県多太(ただ)神社、山口県防府天満宮(ほうふてんまんぐう)などに伝来する。篠臑当は室町時代に始まり近世に流行した。長さ21~22センチメートル、幅1.7~1.8センチメートルほどの割り竹状の細長い鉄板を鎖でつなぎ、布帛(ふはく)製の家地(いえじ)に綴(と)じ付けたもので、七本篠、九本篠が多く、一般に、亀甲金(きっこうがね)を家地に綴じ付け縫い包んだ亀甲立挙を設ける。これの家地・立挙のないものが越中(えっちゅう)臑当で、細川忠興(ただおき)の考案といわれ、おもに細川家で用いられた。鎖臑当は鎖を家地に綴じ付けたもので、これも近世に用いられた。近世の臑当は、鐙(あぶみ)の鉸具(かこ)の当たる内側下部を四角く切り欠き、革を縫い付けて鉸具摺(ずり)と称した。
[山岸素夫]