臼ヶ峰氷見街道(読み)うすがみねひみかいどう

日本歴史地名大系 「臼ヶ峰氷見街道」の解説

臼ヶ峰氷見街道
うすがみねひみかいどう

内浦街道の宿駅子浦しおから子浦川沿いに下石の沓掛さがりいしのくつかけに至り、ここから尾根伝いに所司原しよしはら北部の深谷ふかたにを経て国境の臼ヶ峰にのぼり、越中床鍋とこなべ(現富山県氷見市)へ下って氷見に達する加賀藩の官道。幕府巡見使の通行路でもあったため御上使往来・巡見往来ともよばれ、石仏いしぼとけ道と通称する。「万葉集」巻一七に「気太の神宮に赴き参り、海辺を行く時に作る歌一首」として「之乎路しをぢから直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」がみえる。天平二〇年(七四八)春、当時越中国に属した能登四郡の出挙のため国府を出立して羽咋郡家と気多神社に向かった越中守大伴家持の歌であるが、「之乎路」と詠まれた越中国府と羽咋郡家直結路は当街道にきわめて近いルートであったと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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