興雲寺跡(読み)こううんじあと

日本歴史地名大系 「興雲寺跡」の解説

興雲寺跡
こううんじあと

[現在地名]野市町中ノ村

なかむらの南部、現在の東小学校の敷地にあった真言宗の寺。小字をてらヤシキという。北野山と号したと伝え、北野きたのの地名も現存

天正一六年(一五八八)の香宗分地検帳に「興雲寺ヤシキ寺中」として二七代四歩が記され、うち三代が堂床であった。「南路志」には赤岡あかおか(現赤岡町)の真言宗与楽よらく寺末で、本尊阿弥陀如来とあり、「先年阿弥陀寺と申処、宝永元年より興雲寺と相改申也」と記す。近世初頭には阿弥陀寺と称していたが、宝永元年(一七〇四)に再び興雲寺と称するようになったものであろう。同書によると二間に一〇間の持仏堂に、渡辺忠左衛門が新たに造立寄進した本尊が安置され、寺床二七代四歩は同人の知行地で、当時中ノ村の若一にやくいち王子、新宮しんぐう村の権現宮、土居どい村の立山たてやま大明神、野市のいち村の天満宮別当を勤めていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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