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舛添要一 ますぞえよういち

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知恵蔵2015の解説

舛添要一

政治家、国際政治学者。1948年、福岡県北九州市(当時は八幡市)生まれ。東京大学法学部を卒業後、73年からパリ大学現代国際関係研究所ジュネーブ大学高等国際政治研究所で、各3年間客員研究員を務める。79年に帰国し、東京大学教養学部の助教授に就任。87年頃から「朝まで生テレビ」を始めとする討論・報道番組に出演し、舌鋒鋭い保守派の論客として注目を浴びた。89年、中沢新一の助教授採用・不採用をめぐる問題をきっかけに東京大学を退官。同年、舛添政治経済研究所を設立した。90年代半ばからは、認知症の母の介護で東京と北九州を往復する生活を続け、福祉行政への関心を強める。99年の東京都知事選に無所属立候補し、社会保障制度の充実などをアピールしたが、石原慎太郎にダブルスコアで敗れた。
2001年、自民党候補として参議院議員選挙に出馬。比例代表区で最多票を獲得し、初当選を果たした。主に厚生関係の役職を務めながら、05年には「自民党新憲法草案」(第1次)をとりまとめ、以降、参議院外交防衛委員長、参議院自民党政策審議会会長などを歴任した。07年の参議院議員選挙で再選を果たすと、第1次安倍晋三内閣福田康夫内閣麻生太郎内閣厚生労働大臣を務めた。この間、消えた年金記録問題、中国毒ギョーザ事件、新型インフルエンザなどへの対応に追われながら、省内組織や医療行政の改革にも積極的に取り組み、世論調査では「次期首相にふさわしい政治家」の上位にランクインするようになった。
だが、民主党政権が誕生した翌10年、自民党を離脱し、「改革クラブ」の議員と「新党改革」を結成。自民党からは除名処分を受けた。13年夏の参議院選挙には出馬せず、「新党改革」の代表も辞任したため、事実上の政界引退と見られていた。しかし、猪瀬直樹の辞職に伴う14年2月の東京都知事選に、自民党・公明党の支援を受けて出馬。選挙戦中は、2020年東京五輪の成功、直下地震などの防災対策、福祉・雇用対策の充実を訴え、「脱原発」を争点に挙げた細川護煕共産党社民党が推薦した宇都宮健児らをおさえて圧勝した。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2014年)

舛添要一

「C0207_0760_16」のページをご覧ください。

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

舛添要一 ますぞえ-よういち

1948- 昭和後期-平成時代の政治評論家,政治家。
昭和23年11月29日生まれ。昭和54年母校・東大の助教授となり,平成元年辞職。現代フランス政治にくわしく,評論活動をはじめ多方面で活躍。宮沢喜一ブレーンをつとめた。11年東京都知事選に立候補。13年参議院議員(当選2回)。19年安倍改造内閣で厚生労働相として初入閣,同年の福田内閣,20年麻生内閣で再任された。22年自民党を離党し,新党「新党改革」を結成して代表となる(政党交付金受給資格を継続するため,改革クラブに入党し,政党助成法に基づいて政党名を新党改革に変更する形をとった)。26年東京都知事に当選。福岡県出身。著作に「日本人フランス人」「20世紀 エネルギー革命の時代」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

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