政治家。東京都生まれ。東京帝国大学法学部を卒業し、1942年(昭和17)大蔵省入省。池田勇人(はやと)の秘書官として政界入りし、サンフランシスコ講和前後の日米交渉で活躍した。1953年(昭和28)参議院広島地方区で自由党から初当選、1967年の総選挙で衆議院に鞍替えして当選。1962年池田勇人内閣で経済企画庁長官として初入閣、以来官房長官、通産相、外相、蔵相を歴任。吉田茂、池田勇人以来の保守本流の路線を歩み、鈴木善幸(ぜんこう)の後を受けて宏池(こうち)会を率いて政権獲得を目ざすが、1987年中曽根康弘(なかそねやすひろ)の後継者争いで竹下登に敗れる。竹下内閣の蔵相時代リクルート社からの未公開株譲渡が発覚(リクルート事件)、辞任する。1991年(平成3)竹下派の支持で首相に就任、1992年PKO協力法を成立させた。同年夏の参議院選挙で大勝したが、東京佐川急便事件の発生、金丸信(かねまるしん)(1914―1996)前自民党副総裁の逮捕、竹下派の分裂により政権基盤が動揺した。その後政治改革実現を求める世論にもかかわらず、1993年6月改革を断念したため自民党が分裂、野党提出の内閣不信任決議案が可決されて衆議院解散に追い込まれ、7月の総選挙に自民党が大敗、8月5日に退陣した。以降も衆議院議員をつとめたが、2003年(平成15)11月の総選挙で出馬を辞退、引退した。
[伊藤 悟]
『宮沢喜一著『戦後政治の証言』(1991・読売新聞社)』▽『宮沢喜一著『21世紀への委任状――Sprits the testimony』(1995・小学館)』▽『宮沢喜一著『新・護憲宣言――21世紀の日本と世界』(1995・朝日新聞社)』▽『宮沢喜一著、五百旗頭真他編『宮澤喜一 保守本流の軌跡』(2006・朝日新聞社)』▽『御厨貴・中村隆英編『聞き書宮澤喜一回顧録』(2005・岩波書店)』
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… 国会での追及と検察当局の捜査の結果によれば,未公開株を贈られた政治家は自民党13名,民社党2名,社会党・公明党各1名であった。このなかには中曾根康弘内閣の閣僚4名,官房副長官がおり,贈与を受けた宮沢喜一蔵相は辞任(1988年12月),竹下登首相も辞任に追い込まれ,同内閣は崩壊(1989年6月),中曾根は自民党籍を離脱した(1989年5月)。また元官房長官藤波孝生,公明党議員池田克也が受託収賄罪で,自民党議員安倍晋太郎,宮沢,加藤六月の各秘書が政治資金規正法違反で,NTT代表取締役真藤恒,文部次官高石邦男,労働次官加藤孝らが収賄罪で起訴され,真藤,加藤の有罪が確定している。…
※「宮沢喜一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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