船場別院本徳寺(読み)せんばべついんほんとくじ

日本歴史地名大系 「船場別院本徳寺」の解説

船場別院本徳寺
せんばべついんほんとくじ

[現在地名]姫路市地内町

姫路城の南西、船場川の西にある寺。正式には真宗大谷派姫路船場別院本徳寺と号し、本尊阿弥陀如来。船場本徳寺・姫路別院と通称される。元和四年(一六一八)の開創。開祖の専純(教珍・顕浄院、内室教如娘)英賀本徳あがほんとく寺四世証専(教什、本願寺実円孫、天正元年没)と同寺五世顕妙尼(本願寺顕如妹、慶長七年没)の子。英賀本徳寺は天正八年(一五八〇)羽柴秀吉から寺領三〇〇石を寄進され亀山かめやまに移った(→本徳寺。慶長七年(一六〇二)本願寺が東西に分立した際亀山本徳寺は東本願寺に属したが、東本願寺一二世教如に属した下間頼広(顕如坊官下間頼竜子・池田輝政甥。のちに池田重利と改名し新宮藩主となる)が教如から蟄居を命ぜられたことから、姫路藩主池田輝政と教如との対立が生じ、同藩領内の一向宗寺院の多くは西本願寺一二世准如に属することになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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