日本歴史地名大系 「船竹村」の解説 船竹村ふなたけむら 長野県:上水内郡信濃町船竹村[現在地名]信濃町大字富濃(とみの)現信濃町の東南部、東は芋川(いもかわ)村(現三水(さみず)村)、南は普光寺(ふこうじ)村(現三水村)、西は落影(おちかげ)村、北は柴津(しばつ)村に接する。村の中央に船岳(ふなたけ)盆地が開け、北に薬師(やくし)岳(八一六メートル)とこれに連なる丘陵があり、東と南は村境の丘陵地、西は鳥居(とりい)川が落影村の丘陵東麓に沿い蛇行、盆地を縁どり村境をなし、戸草(とぐさ)の円丘が盆地南端を限る。川東(かわひがし)道は西北の柴津村境から薬師岳南麓をめぐって南東の村境、二十塚(にじゆうづか)峠を越えて芋川村に通じ、沿線の薬師岳南麓に船竹の集落がある。永禄年間(一五五八―七〇)、越後長尾氏の家臣、赤見七郎左衛門という者がこの地に帰農し、近隣の人民を集めて開発して一村落をなしたという伝承がある(長野県町村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by