芝青松寺門前(読み)しばせいしようじもんぜん

日本歴史地名大系 「芝青松寺門前」の解説

芝青松寺門前
しばせいしようじもんぜん

[現在地名]港区虎ノ門とらのもん三丁目

愛宕あたご権現の南に位置する青松寺の門前町屋。北は同寺寺中忠岸院、東は青龍せいりゆう寺、西は天徳寺てんとくじ門前町(広小路門前町)、南は芝光円寺しばこうえんじ門前・同富山とみやま町・北新きたしん門前町・芝青龍寺門前町代地。青松寺は文明八年(一四七六)貝塚かいづかで開創されたが、門前の家持一〇人は同寺開山の家来で文明年中から境内に住居し、天正一九年(一五九一)朱印拝領した際に寺領の百姓とされたという。慶長五年(一六〇〇)に同寺が当地へ移転したときには桜川さくらがわ通のうち同寺表門南の方に百姓居屋敷が置かれたが、寛文八年(一六六八)二月に火災で焼失した際に境内西角、切通しに面した地所へと移転した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む