朝日日本歴史人物事典 「花山院兼雅」の解説
花山院兼雅
生年:久安1(1145)
平安末,鎌倉初期の公卿。太政大臣藤原忠雅と鳥羽院の寵臣藤原家成の娘の子。後花山院左大臣と号す。家柄に加え平清盛の娘を室に迎えたことにより順調に昇進を重ね,頭中将を経て公卿に列し,建久9(1198)年従一位左大臣に至った。その間後白河院の執事院司,宣陽門院別当などを歴任。後白河院の信任を受け,その後も時の権力者である九条家や村上源氏とつながり,激動の時代にありながらも大過なく生涯を送ったところにその人間性の一端が窺えよう。『梁塵秘抄口伝集』によれば,今様などもよくしたようである。
(木村真美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報