花山院兼雅(読み)かざんいん・かねまさ

朝日日本歴史人物事典 「花山院兼雅」の解説

花山院兼雅

没年正治2.7.16(1200.8.27)
生年:久安1(1145)
平安末,鎌倉初期の公卿。太政大臣藤原忠雅と鳥羽院の寵臣藤原家成の娘の子。後花山院左大臣と号す。家柄に加え平清盛の娘を室に迎えたことにより順調に昇進を重ね,頭中将を経て公卿に列し,建久9(1198)年従一位左大臣に至った。その間後白河院の執事院司,宣陽門院別当などを歴任。後白河院の信任を受け,その後も時の権力者である九条家や村上源氏とつながり,激動の時代にありながらも大過なく生涯を送ったところにその人間性の一端が窺えよう。『梁塵秘抄口伝集』によれば,今様などもよくしたようである。

(木村真美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花山院兼雅」の解説

花山院兼雅 かざんいん-かねまさ

1148-1200 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
久安4年生まれ。花山院忠雅長男。母は藤原家成の娘。仁安(にんあん)3年権(ごんの)中納言となる。内大臣,右大臣をへて建久9年(1198)従一位,左大臣にすすんだ。正治(しょうじ)2年7月16日(一説に18日)死去。53歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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