花沢徳衛(読み)ハナザワ トクエ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「花沢徳衛」の解説

花沢 徳衛
ハナザワ トクエ


職業
俳優

生年月日
明治44年 10月18日

出生地
東京市 神田区神田町(東京都)

経歴
小学校を5年で辞めて横浜で指物師としての修業を重ね、昭和7年には東京・渋谷に花沢美術家具研究所を設立。洋画家を志し、8年から11年まで絵の勉強に打ち込む。11年京都のJ・Oスタジオ(東宝前身)附属俳優養成所に入所、12年伊丹万作監督「権三と助十」で映画初出演。俳優兼業のまま京都映画研究所の音声学の講師などを務めたあと、16年に東宝東京撮影所に移籍戦後の24年フリーとなる。「真空地帯」(27年)「蟹工船」(28年)などで卓越した演技力を示し、東映の〈警視庁物語シリーズ〉で地味だが人間味あふれる刑事役で注目を浴びた。41年のNHKテレビ「おはなはん」の祖父役で全国的な人気を得て、のちテレビを中心に頑固おやじ役など名脇役として活躍。主な出演に映画「馬鹿まるだし」「運が良けりゃ」「釣りバカ日誌3」「豪姫」「月光の夏」、テレビ「北の家族」「ひらり」など。絵の方も玄人の域で、第一美術会員だった。著書自伝「恥は書き捨て」がある。

没年月日
平成13年 3月7日 (2001年)

伝記
芝居は無学の早学問熱い思いを言葉にのせて―金子満広対談集花沢徳衛の恥は書き捨て 花沢 徳衛 著金子 満広 著花沢 徳衛 著(発行元 近代文芸社新日本出版社新日本出版社 ’94’87’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「花沢徳衛」の解説

花沢 徳衛
ハナザワ トクエ

昭和期の俳優



生年
明治44(1911)年10月18日

没年
平成13(2001)年3月7日

出生地
東京市神田区神田町

経歴
小学校を5年で辞めて横浜で指物師としての修業を重ね、昭和7年には東京・渋谷に花沢美術家具研究所を設立。洋画家を志し、8年から11年まで絵の勉強に打ち込む。11年京都のJ・Oスタジオ(東宝の前身)附属俳優養成所に入所、12年伊丹万作監督「権三と助十」で映画初出演。俳優兼業のまま京都映画研究所の音声学の講師などを務めたあと、16年に東宝東京撮影所に移籍。戦後の24年フリーとなる。「真空地帯」(27年)「蟹工船」(28年)などで卓越した演技力を示し、東映の〈警視庁物語シリーズ〉で地味だが人間味あふれる刑事役で注目を浴びた。41年のNHKテレビ「おはなはん」の祖父役で全国的な人気を得て、のちテレビを中心に頑固おやじ役など名脇役として活躍。主な出演に映画「馬鹿まるだし」「運が良けりゃ」「釣りバカ日誌3」「豪姫」「月光の夏」、テレビ「北の家族」「ひらり」など。絵の方も玄人の域で、第一美術会員だった。著書に自伝「恥は書き捨て」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「花沢徳衛」の解説

花沢 徳衛 (はなざわ とくえ)

生年月日:1911年10月18日
昭和時代;平成時代の俳優
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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