花田仲之助(読み)ハナダ チュウノスケ

20世紀日本人名事典 「花田仲之助」の解説

花田 仲之助
ハナダ チュウノスケ

明治〜昭和期の陸軍軍人,社会教育家 報徳会創立者。



生年
万延1年6月10日(1860年)

没年
昭和20(1945)年1月2日

出生地
薩摩国(鹿児島県)

学歴〔年〕
陸軍士官学校〔明治16年〕卒

経歴
明治10年西南戦争に参加。17年歩兵第9連隊付、23年歩兵第3連隊付、27年日清戦争に従軍。30〜32年清水松月と変名して西シベリアに入り、ロシア軍の動向調査。32年少佐で予備役。報徳会の主唱者となり、34年郷里鹿児島で会作りに従事。37年日露戦争に応召、38年中佐、後備23連隊大隊長、大本営幕領を務めた。のち全国各地を巡講、報徳会普及に努め、国民精神作興の指導者となった。昭和14年平沼騏一郎内閣下の国民精神総動員中央連盟理事。著書に「報徳実践修養講話」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花田仲之助」の解説

花田仲之助 はなだ-ちゅうのすけ

1860-1945 明治-昭和時代前期の軍人,社会教育家。
万延元年6月10日生まれ。日清(にっしん)戦争に従軍後,シベリアで情報活動につとめる。日露戦争時には玄洋社社員と満州義軍を組織した。陸軍中佐。のち報徳会運動をすすめた。国民精神総動員中央連盟理事。昭和20年1月2日死去。86歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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