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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…田植自体を労働というより神事として考え,終了後は稲の豊穣を願って性の解放などもあった。中国地方や四国の山間部では近年までその様式が残り,囃子(はやし)田,花田植,太鼓田などと呼ばれたが,当日には近隣から多くの牛遣いや見物が集まり,酒食がふるまわれた。現在広島県山県郡・高田郡や島根県那賀郡などにその様式が残り,伝承のためにときどき行われる。…
…このため田植は1日で済ますものといわれ,多数の労働力が必要であった。〈大田植(おおたうえ)〉〈花田植〉などと呼ばれる大規模な中国地方の田植行事は,神祭りと共同作業の要素を今に伝えている。農家の経営形態の変化に伴い〈ゆい〉や〈田植組〉などの相互扶助の組織も生まれた。…
…一方,一般の田植でも民俗信仰行事として田植を囃すことは各地に伝えられた。とくに中国地方の山間部や,四国の一部では近年まで盛んに行われ,囃子田(はやしだ),田植囃子,花田植などの名で知られる。現在も広島県西部や島根県の山間部では民俗芸能として伝承されている。…
…太鼓,すりささら,笛,銅鈸子(どびようし)などで囃しながら行う田植行事。現在中国地方の山間部に残り,地方によりサゲ田,田囃子,花田植,大田植などの名で呼ばれる。古くは全国的に行われ,名主(みようしゆ)の門田(かどた)や,地主の大田,神社の神田などの特殊な規模の大きな田植で見られた。…
…しかしそこで花園の恐れた〈土崩瓦解〉は意外に早く到来,翌年の後醍醐の討幕失敗のあとをうけて即位した量仁(光厳天皇)の大嘗会の無事を喜び,みずから院政にのり出したのも束の間,33年(元弘3)後醍醐の反乱によりその政権は瓦解し,関東に逃れようとした花園は後伏見,光厳とともに捕らえられ,京に送還された。幼少のころから書きつづけてきた日記(《花園天皇日記》)も32年をもって終わっている。 35年(建武2)出家,法名を遍行という。…
※「花田植」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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