改訂新版 世界大百科事典 「苅田狼藉」の意味・わかりやすい解説
苅田狼藉 (かりたろうぜき)
田の作物を苅り取ることは収穫という正当な行為である。他人と争いがあるときでも,自己に由緒ありという主張のもとにそれを行う〈苅田〉行為は,中世では自力救済として不法行為とはみなされなかった。イェーリングも自力救済は単なる力ずくの権利の回復であって,素朴な正義に深く根ざした実力行使として秩序ある司法制度と調和する必然性があると説いている。しかし,日本では鎌倉後半期より,対抗する相手があって,幕府に訴えたときは,判断の未済の間にする実力行使として,社会秩序を乱すため〈狼藉〉と呼ばれるようになり,1310年(延慶3)以来処罰の対象とされた。これ以後〈苅田〉という行為は単なる暴力行為と混同され,個人の権利の正当性の認定権はしだいに幕府に奪取されるようになり,この制度は室町幕府に継承された。戦国期には敵に対する兵粮攻めや味方の兵粮米のために苅田が行われた。
執筆者:辻本 弘明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報