若沢寺跡(読み)にやくたくじあと

日本歴史地名大系 「若沢寺跡」の解説

若沢寺跡
にやくたくじあと

[現在地名]波田町上波田 水沢

村内を北に流れてあずさ川に入る水沢みずさわ水源の水沢山一帯に寺堂を配置した寺。真言宗で、山号は水沢山とも慈眼山ともいう。明治四年(一八七一)廃仏毀釈により廃寺され、江戸時代「信濃日光」といわれた全山の建造物は撤去されて、今は遺構のみである。

享保九年(一七二四)の「信府統記」に「慈眼山若沢寺、智積院末寺ナリ、島立組上波多村ニアリ、当寺ハ大同元年田村丸建立ト云伝フ、昔ハ今ノ地ヨリ二十七、八町程山奥ニアリシガ、長禄二年年今ノ地ニ移セリ」とある。江戸時代の「善光寺道名所図会」には「若沢寺上波多村水沢ニアリ、真言宗京都智積院に属す、寺領十石、境内囲三里半程、末寺四ケ寺、本堂本尊不動明王立像弘法大師作、観音堂本尊行基作、御詠歌、たのめ人こころも清き水沢の流れに結ぶ法の誓ひを」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報