日本歴史地名大系 「英田保」の解説
英田保
あがたほ
現在の
「平戸記」仁治三年(一二四二)五月二八日条に「自梶井宮給御使、恵心院領英太保造白山社役事、所被仰也」とみえ、梶井門跡尊覚法親王が、当保に対する白山宮造営課役の件で、使者を民部卿平経高の元に遣わした。正中二年(一三二五)一一月二五日の梶井門跡相承庄園御領目録(三千院文書)に
北英田保は京都上賀茂社領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在の
「平戸記」仁治三年(一二四二)五月二八日条に「自梶井宮給御使、恵心院領英太保造白山社役事、所被仰也」とみえ、梶井門跡尊覚法親王が、当保に対する白山宮造営課役の件で、使者を民部卿平経高の元に遣わした。正中二年(一三二五)一一月二五日の梶井門跡相承庄園御領目録(三千院文書)に
北英田保は京都上賀茂社領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報