指江村(読み)さすえむら

日本歴史地名大系 「指江村」の解説

指江村
さすえむら

[現在地名]宇ノ気町指江

狩鹿野かるがの村の南東河北潟の北東辺に位置。集落は能登街道に沿う。東の丘陵地を背に西は悪水あくすい川・金錆かなさび(現気屋川)能瀬のせ川などによって形成された沖積低地中世よりサスエとよばれ(三宮古記)、仮名付帳や「圭邑名林」などでも同様に訓じている。地元ではサッセとよぶ。中世は英田あがた保の内。「三宮古記」の正和元年(一三一二)から文保元年(一三一七)の間とみられる「安居田」の記事に「早田地本サスエノ分米六石七斗二升」余とある。文明六年(一四七四)一二月二四日、加賀守護富樫政親が槻橋兵庫充に与えた知行安堵状(北村文書)では「河北郡英田庄内指江村」とみえる。


指江村
さすえむら

[現在地名]長島町指江

蔵之元くらのもと村・平尾ひらお村の南に位置する。西は海(東シナ海)に面し、南は城川内じようがわち村。指江川の流域に開けた村で、同川の河口付近に指江湊がある。「鹿児島県地誌」は字地として川内かわち牧上まきのうえ山口やまのくち大平うひらの四集落をあげる。文禄四年(一五九五)四月二六日、対馬宗義智に与えられた出水郡内知行目録には長島のうちと肩書のある「さすへ村」高二〇五石余がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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