銀山町(読み)ぎんざんまち

日本歴史地名大系 「銀山町」の解説

銀山町
ぎんざんまち

[現在地名]大田市大森町

佐摩さま村のうち蔵泉寺ぞうせんじ口から銀山川の谷間に沿って坂根さかね口までの東西一里・南北二〇町の範囲をさすが、広義には銀山六谷の範囲を含む。

〔銀山六谷〕

銀山六谷(または銀山七谷)といわれる所は、正徳四年(一七一四)の覚(野沢家文書)では下河原しもがわら休谷やすみだに昆布山谷こぶやまだに栃畑谷とちはただに大谷おおたに石銀清水谷いしがねしみずだにの六谷であるが、文化一三年(一八一六)の間歩調(上野家文書)では大谷(御崎谷・柑子谷を含む)・栃畑谷・昆布山谷・休谷・清水谷本谷ほんだに三石谷さんごくだにの七谷があげられている。下河原は蔵泉寺口番所から銀山川の谷間をさかのぼり魚店うおだな辺りまでの範囲で、主として畑地となっている。ここに慶長(一五九六―一六一五)初期大久保長安の導入した銀吹所の跡と推定される遺構が、最近の発掘調査によって明らかになった。休谷は下河原の上流部に位置し、魚谷うおだに上市場うえいちばなどの地名が残る。休谷の名称は佐比売山さひめやま神社を美濃郡より奉遷したとき、一時この地に祀ったことによるとされる。毛利氏時代、山吹やまぶき城の城下町として銀山町の中心となった所。上千京かみせんきよう・下千京・千京などの地名が残る。大久保長安が銀山奉行として最初に陣屋を構えたのは休谷のうち吉迫よしざこといわれる旧毛利氏下屋敷付近と推定される。ここに大久保長安時代の御文庫跡ごぶんこあとの地名が残る。御崎谷みさきだには休谷の上流部で大谷の一部をいう。この辺りに大横相おおよこあい福神ふくじん蔵本くらもと井戸いど讃岐さぬきなどの重要間歩がある。

柑子谷こうじだに要害ようがい(山吹城)の北麓を北西に延びる谷で、この谷に慶長の頃開かれた泉山いずみやま間歩がある。安永五年(一七七六)銀山の山師一同の願いによって水抜き・切開きを行い、御直山五ヵ山の一つとなった永久御宝えいきゆうおたから(現仁摩町)はこの谷にある。大谷のうち御崎谷の奥、銀山川の水源の谷に龍源寺りゆうげんじ間歩など多くの重要間歩が切開かれている。大谷をさかのぼれば坂根口番所に達する。銀山道が同番所から降路ごうろ坂を越えて西田にした村・温泉津ゆのつ(現温泉津町)に達する。栃畑谷は三久須みくす村境から御崎谷に続く谷をいう。ここに銀山の守護神佐比売山神社(山神宮)が祀られ、神宮寺もある。毛利氏時代には銀山稼行の中心地であった。栃畑谷の奥に唐人橋とうじんばし唐人屋敷とうじんやしきなどの地名が残る。栃畑谷をさかのぼれば萩峠はぎたお口番所を経て三久須村に通じる。昆布山谷は栃畑谷の佐比売山神社付近からせん山・石銀いしがねへの通路となる谷で、ここに新横相しんよこあい間歩がある。大内氏から毛利氏の時代に開発された所で、寺院・人家が谷壁に立並んでいた。石銀は仙山の中腹、標高四五〇―五〇〇メートルの高所にある平坦地で、清水平しみずだいら於紅おべにだん千畳敷せんじようじきいけだん安原谷やすはらだになどを総称した所である。


銀山町
ぎんざんちよう

[現在地名]猪名川町銀山

現猪名川町域の南部西寄りに位置する。東・西・南の三方を広根ひろね村に囲まれる。諸国に知られた多田ただ銀銅山の中心地。慶長国絵図に「銀山谷」とあるが、村高の記載はない。正保郷帳でも同様で、鉱山町として特別視されていたが、延享二年(一七四五)に検地を受け、高二二石余とされた(「銀山町検地帳」広芝家文書)。天保郷帳では銀山町として高二二石余。銀山親鉉に属する大口おおぐち間歩は慶安―承応年間(一六四八―五五)に大坂米屋弥左衛門が稼行、万治二年(一六五九)に銀山町の津慶吉兵衛が大鉱脈を掘当てて採掘、直山とされた。ほかに大口間歩と同時期という八尺はつしやく間歩・坂間歩・珍幸間歩・さかき間歩・川戸間歩・矢竹やたけ間歩・たに間歩・柏梨田かしうだ間歩など、寛文年間(一六六一―七三)に稼行しまたは盛期を迎えた船間歩・中鋪なかじき間歩・さらへ間歩・瓢箪ひようたん間歩・きざはし間歩・山神さんじん間歩・峰割みねわり間歩などがある。うち階間歩などは永禄年間(一五五八―七〇)に出、瓢箪間歩は足利時代からの採掘と伝え、また天正年間(一五七三―九二)が盛期であったという台所だいどころ間歩などがある(「多田銀銅山来歴申伝略記」静嘉堂文庫)


銀山町
かなやまちよう

[現在地名]中区銀山町・えびす

山口やまぐち町の南に続く山陽道沿いの町であるが、山陽道は途中より西に折れてちぎや町に続く。南は横町の武家屋敷町薬研堀やげんぼり、北は横町の東引御堂ひがしひきみどう町、東は武家屋敷町の下柳しもやなぎ町に突当る。城下新町組に属した。元和五年広島城下絵図には縦町に「銀山町五十間」、西に折れた横町に「銀山町四十九間」と記す。寛永二年広島町数家数改め(済美録)によると本家四二軒・借家九二軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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