茂木重次郎(読み)モテキ ジュウジロウ

20世紀日本人名事典 「茂木重次郎」の解説

茂木 重次郎
モテキ ジュウジロウ

明治・大正期の化学技術者 亜鉛華の発明者。



生年
安政6年2月(1859年)

没年
昭和7(1932)年3月

出生地
大和国郡山(奈良県)

学歴〔年〕
開成学校機械科・同精煉科卒

主な受賞名〔年〕
緑綬褒章〔明治44年〕

経歴
大和郡山藩士の家に生まれる。明治6年藩の選抜により東京に遊学し、慶応義塾を経て、開成学校を修了した。そこで日本の化学工業に多大な影響を与えたドイツ人・ワグネル教授の知遇を得て、7年兄・春太と共に亜鉛華塗料の製造研究に着手。13年日本初の洋式塗料ペンキの第1号を完成、14年洋式塗料工場を設立し日本ペイントの前身である光明社を立ち上げた。同年第2回内国勧業博覧会で海軍と取引のあった田川謙三を知り、共同研究・共同開発の形で事業を進める。16年から海軍より艦船用調合ペイント製造の命を受け、途中兄の死去や工場焼失などがあったが、19年皇居造営に当たり塗料が使用され銀牌を受ける。以来、民間にも広く知られ民需も増加し、31年日本ペイント製造を発足。ペイント工業のほか、ゴム工業など新たな用途の開拓と共に生産量を増加し、塗料顔料業界に君臨した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「茂木重次郎」の解説

茂木重次郎 もてき-じゅうじろう

1859-1932 明治-大正時代の化学技術者。
安政6年2月生まれ。開成学校でまなぶ。兄春太とともに亜鉛華塗料の製造を研究し,明治14年わが国初の洋式塗料工場光明社(現日本ペイント)を設立した。昭和7年3月死去。74歳。大和(奈良県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の茂木重次郎の言及

【塗料】より

…一方,需要は建物,道路車両,船舶,金属製品などが多い。日本の塗料工業は1881年,茂木重次郎(1859‐1932)が東京芝で創業した光明社共同組合に始まる。産業の特徴としては,多品種少量生産の典型であり,中小企業が乱立している。…

※「茂木重次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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