荒川峡温泉(読み)あらかわきようおんせん

日本歴史地名大系 「荒川峡温泉」の解説

荒川峡温泉
あらかわきようおんせん

[現在地名]関川村湯沢・上関

荒川右岸の湯沢(ゆさわ)温泉・高瀬(たかせ)温泉・鷹(たか)ノ巣(す)温泉、左岸の雲母(きら)温泉からなる。湯沢温泉は古くは垂水(たるみ)の湯とよばれ、鎌倉期に須貝刑部という武士が手負いの熊を追ってきて発見したという。刑部の子孫須貝家は本鎌倉屋という宿を経営、明治一五年(一八八二)の商金高調(須貝家文書)には本鎌倉屋・鎌倉屋・角屋の三軒の旅館が須貝家の経営であった。その後本鎌倉屋は下関(しもせき)の渡辺家の経営となり桂屋旅館となった。曹洞宗松岳(しようがく)寺の開基と伝える津野源太夫の子孫の経営する田屋は現在高橋館となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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