京都市下京区西新屋敷揚屋町にある旧遊郭島原の揚屋の遺構(重要文化財)。江戸初期の1640年(寛永17)に六条三筋町の遊郭が島原に移転したときから現在地にある。角屋は大夫,天神,端(はし),鹿恋(かこい)といった遊女のうち,天神以上の遊女しか呼ばない格の高い揚屋で,建築意匠には,財力をもった町人の贅を尽くしたさまざまな趣向が凝らされている。基本的には通りに面した表棟と前庭,玄関,および奥棟とその北西の座敷棟とからなるいわゆる〈表造り〉に属するが,大小とりまぜ多くの座敷をもっていることなど,一般の京の町屋と異なる点が少なくない。外観は江戸中期以降の家作制限を反映してきわめて質素だが,表棟1階には天井に網代(あじろ)を組んだ28畳敷きの〈網代の間〉,2階には襖に緞子(どんす)を張った23畳敷きの〈緞子の間〉,12畳敷きの〈翠簾口(みすぐち)の間〉,襖に翠簾を描く10畳敷きの〈翠簾の間〉,天井に扇面を散らした21畳敷きの〈扇の間〉,四季の草花の描かれた襖にちなむ6畳敷きの〈草花の間〉などがあり,奥棟の2階には,露台をもち壁,床の間,棚,建具の桟にいたるまで青貝をはめ込んで中国風の趣をたたえた17畳敷きの〈青貝の間〉,天井や障子の腰などに檜垣(ひがき)の意匠を用いた14畳敷きの〈檜垣の間〉,さらに〈囲の間〉〈梅の間〉〈八景の間〉〈孔雀の間〉などがある。奥棟1階の台所と帳場は京都の町屋には珍しく太い大黒柱や梁を組み合わせた大きな空間をみせるし,七つ竈(かまど)や家紋の入った大衝立(おおついたて),江戸中期にさかのぼりうる箱階段など,揚屋の舞台裏を垣間見ることができる。これらの建物は,表棟と奥棟の主要部分が17世紀後半ころまでに整備され,その後営業を続けながらしだいに増築して今日の姿になったとみられる。新撰組や勤王派の武士が乱舞した舞台ともなった。
執筆者:高橋 康夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…中世の書院造でも正面広縁の最も下手から鍵の手に突出した短い廊を中門あるいは中門廊と呼ぶ。近世農家で主屋の下手から前面に出っ張る角屋(つのや)を中門と呼ぶのは,寝殿,書院の中門からの連想である。【沢村 仁】。…
…明治以後も営業を継続していたが,1957年の売春防止法実施とともに消滅した。なお,揚屋町の角屋(すみや)(揚屋),中之町の輪違屋(置屋)などに近世建築の遺構が残っており,角屋では観光用に遊郭風俗のショーをみせている。【原島 陽一】。…
※「角屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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