日本歴史地名大系 「上関村」の解説
上関村
かみのせきむら
熊毛半島の先端、西海上に位置し、東北から南西に長い島。長島といい上関本島とも称する。東北部には
「延喜式」(兵部省)にみえる周防国
上関の名は、室町時代の遣明使節・勘合船に関する主要記録を収録した「入明諸用例」の「第五
とみえ、大内氏はこの上関を海駅としていたことがわかる。細川幽斎の「九州道の記」(天正一五年)に「
中世、上関は三島水軍村上衆のうち、
上関村
かみせきむら
近世は初め村上藩領、宝永六年(一七〇九)以降幕府領。慶長一九年(一六一四)の村上忠勝による宿継ぎ定書(渡辺家文書)に「上関村」とみえ、旅人荷物の運送は当村と下関村とで一五日替りに行うよう決められた。万治二年(一六五九)の検地帳(同文書)によれば高二六四石七斗余・反別二七町一反九畝余。
上関村
かみぜきむら
上関村
かみぜきむら
上関村
かみせきむら
上関村
かみぜきむら
上関村
うわせきむら
上関村
うえせきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報