荷菜村(読み)になむら

日本歴史地名大系 「荷菜村」の解説

荷菜村
になむら

[現在地名]沙流さる郡平取町字川向かわむかい・字去場さるば・字荷菜・字小平こびら

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正一二年(一九二三)の村。沙流郡南西部に位置し、北は平取村、南西は紫雲古津しうんこつ村、西は丘陵を隔てて勇払ゆうふつ生鼈いくべつ(現鵡川町)に接する。沙流川が村の東部を南西方に流れ、その東岸は高丘で平地は少なく、西岸は平地が多い(「状況報文」など)近世史料ニナとみえる地などを含む。「日高国地誌提要」に荷菜村とある。明治二年(一八六九)一一月、仙台藩の支配地となり、翌三年の仙台藩による入植開拓で、当村には芳賀八百治・野口秋治が入植・帰農したが、芳賀は同二〇年に静内しずない郡に転出した(平取町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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