朝日日本歴史人物事典 「菅得庵」の解説
菅得庵
生年:天正9(1581)
江戸時代前期の儒学者。字は子徳。名は玄同,得庵・生白室と号す。播磨国(兵庫県)飾磨郡蒲田村に生まれる。蒲田又は鎌田を氏とする。24歳で京都に出,医学を曲直瀬玄朔に,儒学を藤原惺窩に学ぶ。惺窩門四天王は,ふつう林羅山,堀杏庵,那波活所,松永尺五をさすが,松永尺五のかわりに得庵をいれることもある。当時博学で有名だったが,弟子安田安昌に殺された。事件の詳細は不明だが,林羅山「菅玄同碑銘」,中江藤樹「安昌弑玄同論」の2編が言及している。那波活所の『活所備忘録』によれば,得庵が博識におごって,安昌に悪口雑言を加えたからという。<参考文献>原念斎『先哲叢談』
(柴田純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報