菅得庵(読み)かん・とくあん

朝日日本歴史人物事典 「菅得庵」の解説

菅得庵

没年:寛永5.6.14(1628.7.15)
生年天正9(1581)
江戸時代前期の儒学者。字は子徳。名は玄同,得庵・生白室と号す。播磨国(兵庫県)飾磨郡蒲田村に生まれる。蒲田又は鎌田を氏とする。24歳で京都に出,医学曲直瀬玄朔に,儒学を藤原惺窩に学ぶ。惺窩門四天王は,ふつう林羅山,堀杏庵,那波活所,松永尺五をさすが,松永尺五のかわりに得庵をいれることもある。当時博学で有名だったが,弟子安田安昌に殺された。事件の詳細は不明だが,林羅山「菅玄同碑銘」,中江藤樹「安昌弑玄同論」の2編が言及している。那波活所の『活所備忘録』によれば,得庵が博識におごって,安昌に悪口雑言を加えたからという。<参考文献>原念斎先哲叢談

(柴田純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅得庵」の解説

菅得庵 かん-とくあん

1581-1628 江戸時代前期の儒者
天正(てんしょう)9年生まれ。医学を曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく)に,のち儒学を藤原惺窩(せいか)にまなび,京都で塾をひらく。門人安田安昌のうらみをかい,寛永5年6月14日殺害された。48歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。姓は鎌田,菅原。名は玄同。字(あざな)は子徳。別号に生白。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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