日本歴史地名大系 「菅生庄」の解説
菅生庄
すごうのしよう
中世の庄園で、庄内の地名として関連史料に本郷・中須賀・
「吾妻鏡」文治四年(一一八八)六月四日条所収の、同年五月一二日付後白河法皇院宣に「上総国菅生庄 前摂政家領」とみえ、前摂政近衛基通の所領であった。
菅生庄
すごうのしよう
現姫路市から現夢前町にかけての菅生川中流域を庄域とする。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂領目録(島田文書)に菅生庄がみえ、京都長講堂に対し元三雑事以下の公事を負担していた。「和名抄」に載る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報