菊池九郎(読み)キクチ クロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「菊池九郎」の解説

菊池 九郎
キクチ クロウ


肩書
衆院議員(憲政本党),弘前市長

別名
幼名=喜代太郎

生年月日
弘化4年9月18日(1847年)

出生地
陸奥国弘前(青森県弘前市)

経歴
弘前藩の藩学稽古館に学び、書院番、小姓。維新には奥羽各藩の間を奔走した。東京、鹿児島に留学明治4年帰郷、東奥義塾創設に尽力し、10年塾長。11年共同会を結成、自由民権運動を指導。その後郡長、青森県議などを経て、22年初代弘前市長となった。23年第1回衆院議員選に当選、以来9回連続当選。この間、21年東奥日報社長、30年山形県知事、31年農商務省農務局長も歴任。41年政界を引退し湘南海岸に移り住むが、再出馬を要請され、44年再び弘前市長となった。

没年月日
大正15年1月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「菊池九郎」の解説

菊池 九郎
キクチ クロウ

明治・大正期の政治家 衆院議員(憲政本党);弘前市長。



生年
弘化4年9月18日(1847年)

没年
大正15(1926)年1月1日

出生地
陸奥国弘前(青森県弘前市)

別名
幼名=喜代太郎

経歴
弘前藩の藩学稽古館に学び、書院番、小姓。維新には奥羽各藩の間を奔走した。東京、鹿児島に留学、明治4年帰郷、東奥義塾創設に尽力し、10年塾長。11年共同会を結成、自由民権運動を指導。その後郡長、青森県議などを経て、22年初代弘前市長となった。23年第1回衆院議員選に当選、以来9回連続当選。この間、21年東奥日報社長、30年山形県知事、31年農商務省農務局長も歴任。41年政界を引退し湘南海岸に移り住むが、再出馬を要請され、44年再び弘前市長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池九郎」の解説

菊池九郎 きくち-くろう

1847-1926 明治-大正時代の政治家,教育家。
弘化(こうか)4年9月18日生まれ。菊池新太郎・幾久子の長男。もと陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士慶応義塾,鹿児島藩兵学校にまなぶ。明治5年弘前に東奥(とうおう)義塾を設立。自由民権運動を指導し,21年「東奥日報」を創刊。22年初代弘前市長,23年衆議院議員(当選9回,憲政本党),30年山形県知事。大正15年1月1日死去。80歳。幼名は喜代太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「菊池九郎」の解説

菊池九郎

没年:大正15.1.1(1926)
生年:弘化4.9.18(1847.10.26)
明治大正期の政治家。弘前藩に生まれる。慶応義塾,鹿児島藩兵学校などに学び,帰郷後,東奥義塾を設立,青森県会議員,弘前市長など歴任,明治23(1890)年第1回総選挙で青森県から衆院議員に当選,以来9回連続当選。<参考文献>長谷川虎次郎編『菊池九郎先生小伝』

(寺崎修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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