1878年から1926年まで郡に置かれた地方官吏。1878年の府県官職制によって創設された官職で府県知事によって任命され,身分としては奏任官に位置づけられた。当初は郡内の名望家が任命される例が多かったが,自由民権運動の盛んな地域には,士族あるいは他郡出身者を任じて,弾圧機能を強めた。内務省と知事の監督下に町村を統轄し,上命下達の任に当たったほか,反政府機運の取締りに当たった。府県と町村を結ぶ地方行政の要であり,第一線の官吏として重視されたが,住民の側からは官僚的支配の拠点として憎まれ,府県会では郡長公選建議があいついだ。87年以後郡長採用は公開試験と選考制となり,郡長の官僚化は決定的となった。さらに明治末年には従来属官の登竜門であった郡長に高文(高等文官試験)合格の若手官僚が登場しはじめる。1926年の郡役所廃止とともに郡長も廃止された。
執筆者:大島 美津子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
各郡の行政長官の官職名。1878年(明治11)7月の郡区町村編制法の公布によって,府県と町村を結ぶ位置に郡がおかれた。郡長には当初,当該府県本籍者の名望家が任用されたが,87年からは試験任用制度へ移行した。郡制は1921年(大正10)廃止が決定したが,郡長は経過事務を処理するため存続し,26年(昭和元)に廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…以後,元禄国絵図・郷帳で確定した郡名・郡域は,天保郷帳でもわずかな変更があっただけで,近世的郡名・郡域として固定されたのである。【黒田 日出男】
[近代]
1871年(明治4)の大区・小区制の下で旧来の郡は否定されたが,78年の郡区町村編制法によって行政区画として復活し,郡役所と郡長がおかれた。郡長は官選で,府知事・県令の下にあって町村を監督し,もっぱら上命下達にたずさわった。…
※「郡長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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