朝日日本歴史人物事典 「菊池重朝」の解説
菊池重朝
生年:宝徳1(1449)
室町時代の守護大名。肥後守為邦の子,持朝の孫。幼名藤菊丸,通称十郎,肥後守。文正1(1466)年継嗣,肥後隈府(熊本県菊池市)を本拠として肥後北部6郡を支配。父の代に失った筑後守護職回復の志向があった。文明4(1472)年阿蘇山上宮・下宮造営につき棟別銭を課し,同17年には国内玉名郡清源寺が禅宗諸山に列するよう尽力。文事に教養深く同8年には藤崎宮で法楽,連歌を催し,翌年の桂庵玄樹滞在に際しては隈府の聖堂で釈奠(孔子を祭る典礼)を行い,清源寺明育の上洛に送別の七絶詩を贈っている。また同13年には隈府で領内の諸侍や僧侶たちを集め,万句連歌を興行していることが知られる。<参考文献>『李朝実録』『阿蘇文書』「菊池万句」
(阿蘇品保夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報