萩原タケ(読み)はぎわらたけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「萩原タケ」の意味・わかりやすい解説

萩原タケ
はぎわらたけ
(1873―1936)

看護婦。東京生まれ。日本赤十字社看護婦の理想像の一人。1896年(明治29)日赤本社救護看護婦7期生として卒業、1907年(明治40)ヨーロッパへ渡る山内侯爵夫人の付き添い看護婦としてフランスに行き、その地で梨本(なしもと)宮ヨーロッパ帝室歴訪の随員に加えられた。解任後、ロンドンで開催された第2回国際看護婦大会に日本人として初めて出席をした。これを機に日本看護婦会が結成され、萩原会長となり、その後日本の看護婦を代表して国際看護婦協会に加盟し、国内外に広くその名を知られた。第1回フローレンス・ナイチンゲール記章の受章者の一人である。

[山根信子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「萩原タケ」の解説

萩原 タケ
ハギワラ タケ

明治〜昭和期の看護婦



生年
明治10(1877)年

没年
昭和11(1936)年5月27日

出生地
東京・西多摩

経歴
明治26年日本赤十字社看護婦となり、日清、日露北清事変、シベリア事変などで負傷者の救護につくす。その間、42年ロンドンでの42年万国看護婦大会に日本代表として出席、大正2年にはドイツへ、昭和4年にはカナダに赴いた。のちに日本赤十字社病院看護婦監督、日本看護婦協会会長の重責を果たすなど、終生を赤十字事業献身。全国看護婦の母といわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萩原タケ」の解説

萩原タケ はぎわら-タケ

1873-1936 明治-大正時代の看護婦。
明治6年2月7日生まれ。日本赤十字社の事業につくす。明治42年ロンドンの第2回万国看護婦大会に初の日本代表として出席。日本看護婦協会の初代会長。大正9年第1回ナイチンゲール記章。昭和11年5月27日死去。64歳。東京出身。

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