朝日日本歴史人物事典 「落合直言」の解説
落合直言
生年:弘化4(1847)
幕末維新期の志士。武蔵国多摩郡駒木野村(東京都青梅市)の関守落合俊雄の7男。母はたき。直亮,直澄の弟。通称五十馬。気性はいたって激しく,慷慨家ともよぶべき人物。明治3(1870)年,相楽総三ら赤報隊士慰霊のための建碑発起人のひとりとなり慰霊祭を挙行。翌年,開化政策に不満を持つ公家外山光輔らの武力による天皇の京都還幸と鎖国を目指す陰謀に加わり,東京で逮捕。同年12月,終身禁獄を申し渡され,中村恕助ら5名と鹿児島県預りとなる。同10年の西南戦争では恕助らと共に西郷軍に入隊し,振武隊大隊長中島健彦に属して転戦,4月に保田窪(熊本市)の激戦で戦死した。
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報