落合直澄(読み)おちあい・なおすみ

朝日日本歴史人物事典 「落合直澄」の解説

落合直澄

没年:明治24.1.6(1891)
生年:天保11(1840)
幕末明治期の神官,国学者。通称一平,号は小槙舎。武蔵国多摩郡駒木野村(青梅市)生まれ。父は落合俊雄,兄は直亮。初め堀秀成に,のち富樫広蔭に国学と語学を学んだ。勤皇の志厚く兄直亮と共に国事に奔走し,戊辰戦争では官軍の参謀河田景与に従って戦功をたてた。明治2(1869)年神祇官宣教権少博士,のち豊受大神宮禰宜,多度津神社宮司,出雲大社少宮司,伊勢神宮禰宜などを経て大教正に進んだ。公務のかたわら著述に従い,22年皇典講究所の講師となる。紀伝,古語に詳しく,『語格大成図』『日本古代文字考』『古事記講録』などの著書がある。

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「落合直澄」の解説

落合直澄 おちあい-なおずみ

1840-1891 幕末-明治時代の国学者,神職
天保(てんぽう)11年生まれ。落合直亮(なおあき)の弟。国学を堀秀成,富樫広蔭(とがし-ひろかげ)にまなぶ。兄とともに尊攘(そんじょう)運動にくわわり,戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍参謀河田景与(かげとも)にしたがい活躍。維新後は神祇官(じんぎかん)宣教権(ごんの)少博士,豊受大神宮禰宜(ねぎ),大教正をつとめた。明治24年1月6日死去。52歳。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)出身。通称は一平。号は小槙舎。著作に「古今沿革図説」「古事記後伝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「落合直澄」の意味・わかりやすい解説

落合直澄
おちあいなおずみ

[生]天保11(1840).武蔵
[没]1891.1.6.
国学者。落合直亮の弟。勤王運動に従い,のち外宮禰宜,皇典講究所講師などを歴任。著書『古事記後伝』『古事記講録』。

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